白河工場周辺ガイド(公園編)
フランスベッド白河工場周辺は、寛政の改革で知られる松平定信公の居城、小峰城や、おなじく松平定信公が造成させた、日本で初めて一般庶民に公開されたことで知られる、南湖公園などの見所があります。展示会の後でまわってみてはいかがでしょうか。
小峰城
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632)に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です。
寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています。 春の桜の季節には、さくら祭が開催される桜の名所としてもしられています。城の城郭と桜の組合せは、写真の愛好家にも認められる場所です。
平成22年8月5日に、その歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となっています。
| 住 所 | 白河市郭内1 |
|---|---|
| 見 学 時 間 | 三重櫓:10時~ 17時(4月~10月) 16時(11月~3月) |
| 定 休 日 | 年末年始(12/29~1/3) |
| 料 金 | 無 料 |
| 駐 車 場 | 有(イベント時には制限があります。) |
| 詳細は | (公財)白河観光物産協会 TEL 0248-22-1147 |
南湖公園
12代白河藩主・松平定信(楽翁公)が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造した場所です。
当初は単に「南湖」と称されました。南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ詩「南湖秋水夜無煙」からと小峰城の南に位置することからと伝えられます。
定信は、「士民共楽(武士も庶民も共に楽しむ)」という理念のもと南湖を築造しましたが、身分の差を越えて誰でも憩える茶室「共楽亭」を建てたことからもその理念への強い思いがうかがえます。

大正13年には「南湖公園」として国の史跡名勝となり、定信の理念とともに現在に受け継がれています。植えられた松・桜、楓などは四季折々に典雅な風趣をたたえ、多くの人びとを魅了し続けています。
公園に付随して「翠楽苑(すいらくえん)」が併設されています。入園料が必要ですが、整備された日本庭園で、季節の花々や紅葉を楽しめ、園内の茶屋では抹茶も楽しめます。
| 住 所 | 白河市南湖地内 |
|---|---|
| 見 学 時 間 | 見学自由 |
| 料 金 | 無 料(翠楽苑には入園料が掛かります。) |
| 駐 車 場 | 有 |
| 詳細は | (公財)白河観光物産協会 TEL 0248-22-1147 |
白河関跡
奥州三古関のひとつに数えられる白河関は、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。(写真は、関所の空堀跡)
その後律令制の衰退とともにその機能を失いましたが、『歌枕』(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地となり、能因や西行、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが多くの歌を残しています。

現在も風流人の想いを描く地として愛されています。
(写真は、樹齢800年と言われる「従二位の杉」)
【関連する和歌・俳句】
●都をば 霞とともに 立ちしかど
秋風ぞ吹く 白河の関(能因)
●卯の花を かざしに関の 晴着かな(曽良)
●西か東か 先早苗にも 風の音(芭蕉)
※関跡入口から白河寄り約20mに歌碑が有ます。
| 住 所 | 白河市旗宿白河内地内 |
|---|---|
| 見 学 時 間 | 見学自由 |
| 料 金 | 無 料 |
| 駐 車 場 | 有 |
| 詳細は | (公財)白河観光物産協会 TEL 0248-22-1147 |